明治時代から大正時代にかけて各地区に火盗予防団が組織され、その後、昭和初期に自衛自警団、昭和14年に警防団となり、8部落公団を組織し、8分団編成として各分団に腕用ポンプ1台を配備しました。また、これとは別組織として昭和初期ごろ、岩手山麓に広がる山林火災に備えるため、4個分団編成、団員数200人程度の森林消防組を組織しました。
警防団は、戦後、昭和22年4月1日、消防団令交付により改組され、本部と地域ごとに編成された8個分団、団員数377名により自治体消防団として再発足しましたが、機械化及び人口減少に伴い、昭和37年に団員定数を290名に削減しています。
昭和38年11月29日には盛岡市、滝沢村、雫石町、玉山村との1市3町村とで消防相互応援協定を締結しています。
昭和46年7月に8個分団から3個分団8部制に再編成を行いました。このときの実団員数は248名でした。人口増加に伴い、昭和55年3月に組織の見直しを行い、本部及び10個分団3部制とし、団員定数を420名としました。
昭和58年4月27日に陸上自衛隊岩手山演習場から発生した、本市火災史上まれにみる大規模林野火災には全分団が出動して消火活動にあたりました。
平成15年3月には定年制を撤廃、同年4月からは女性の任用も行い、9名の女性消防団員が誕生しました。平成21年4月には平日日中の火災対応能力を強化するため、役場職員のみで構成する第11分団(通称、役場分団(現在は市役所分団)と呼ばれ、平成27年4月1日現在での市役所分団は24名で構成)を設立しました。
令和3年10月13日付け、消防庁から「消防団員の処遇改善」に関する通達を受け、令和4年4月1日付けで滝沢市消防団員の給与に関する条例を改正し、消防団員へ支給する年額報酬を団員1人当たり「21,000円」から「35,600円」に増額し、これまでの出動手当を改め出動報酬に見直し、災害出動で1日あたり「最大8,000円」、その他の出動には1日当たり「3,500円」を支給するように待遇改善を行いました。
新たに女性消防団員7名を迎え、令和4年11月1日現在、1本部11個分団3部とラッパ隊の体制で団員304名、消防ポンプ自動車14台、小型ポンプ積載車4台を備え、市当局、消防署、防火クラブ等連絡協議会及び地域の自主防災組織等が一体となり、消防の使命である地域住民の生命、身体、財産の保全のため日夜精進しています。