滝沢市の名前の由来
現在の大釜・篠木・大沢・鵜飼・滝沢の五つの地区のなかで、最広の区域が滝沢地区であったから、明治22年の町村制実施(合併)から滝沢村となり、平成26年1月1日からの市制施行となりましたが、今までの「滝沢」を継承し、滝沢市となりました。
地区名(滝沢・大釜・篠木・大沢・鵜飼)の由来
滝沢(たきざわ)
石ケ森と谷地山のあいだに、一つの渓流がある。それが急流となり、浅瀬となり、滝となって流れているところが数個所あるので、これを"滝の沢"と名づけた。この流れの名前から、「滝沢」とよばれたという。
(写真=滝沢の由来となった「滝の沢」)
大釜(おおがま)
前九年の役に、源義家が陣営を設け、大釜を据え付けて兵馬に食糧を与えたことから、「大釜」の地名が生まれたという。
篠木(しのぎ)
803年、坂上田村麻呂が蝦夷征伐ののち、京都に帰るとき家来の斉藤五郎兼光にいい残した言葉「汝この地に永くとどまり、寒暑を凌ぎ、以って鎮撫の任にあたれ」から、「篠木」の地名が生まれたという。
大沢(おおさわ)
烏泊山と高峰山のあいだから流れ出る沢に、湯の沢と五郎沢とがあって、これが合流して大きな沢となった。これが「大沢」の地名になったという。
鵜飼(うかい)
文治の役ののち、岩手郡が工藤氏の支配になった。そのとき鵜飼宮内秀純という武士がやって来てこの地を治めたことから、「鵜飼」の地名ができたという。鵜飼の地名については、このほかに南部公が鵜を飼ったことからとか、あるいは南部公が鷹狩にきたときの鷹使いの名人の話などがある。
引用元
農民生活変遷中心の滝沢村誌(全1巻)
編著者:福田武雄
滝沢市(滝沢村)の歴史
編集岩手県文化財愛護協会 著者:福田武雄・下斗米昭一